長崎地方裁判所 昭和55年(わ)130号 判決 1981年4月09日
主文
被告人渕辰昭を懲役三月に、被告人中野常次郎を懲役五月に処する。
被告人両名に対し、この裁判の確定した日から二年間それぞれの刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人渕辰昭は長崎県巡査、被告人中野常次郎は同県巡査部長であつて、いずれも長崎県浦上警察署に勤務し、外勤係として長崎市滑石五丁目一番六二号所在の同署滑石警察官派出所に配置され、警戒、警らし、犯罪の予防、検挙及び少年補導などの職務を行つていたものであるが、昭和五四年一二月一四日午前一時五〇分ころ、同派出所において在所執務中、被告人渕が少年蔭地和成(当一八年)を未成年者の飲酒喫煙等で補導した際、同人が被告人両名に反抗的態度を示したことなどにそれぞれ腹を立て、
第一 被告人渕は、同派出所西側駐車場において、左手で右蔭地のジャンパーの右襟首をつかみ、右手で同人の左肘を握つて同人を左方へ一回投げつけ、
第二 被告人中野は、同派出所前付近において、右手で右蔭地の襟首をつかんで押したうえ、さらに同人を同派出所東側路上に押し倒し、
もつて、被告人両名とも職務を行うにあたり右蔭地にそれぞれ暴行を加えたものである。
(証拠の標目)
判示事実全部につき
一 証人蔭地和成、同蔭地書久美(第三回公判の分)、同桑名利洋及び同柿田光の当公判廷における各供述
一 松尾昇及び柿田光の検察官に対する各供述調書
一 検察官作成の実況見分調書及び「捜査報告書」と題する書面二通
一 井石潔作成の「病況書」と題する書面
一 当裁判所の検証調書
一 被告人渕(三通)及び被告人中野(証4号)の検察官に対する各供述調書
判示第二の事実につき
一 証人蔭地喜久美の当公判廷における供述(第一一回公判の分)
一 証人蔭地喜久美に対する当裁判所の尋問調書
一 被告人中野の検察官に対する各供述調書(証5、6号)
以上の各証拠によつて判示各事実を認めたのであるが、被告人両名及び弁護人は、蔭地和成(以下和成という)に対して暴行を加えた事実はなく、被告人らのとつた行為はいずれも警察官としての職務行為ないしはこれに随伴する適法な行為である旨主張するので、この点について若干補足して説明する。
当公判廷において、被告人渕は要旨「和成が被告人中野に向つて、『こつちに来い、やつてやる』などといいながら横歩きの格好であごをしやくり、肩をいからして挑発的態度で駐車場の方に行つたので、大声を出されると近所迷惑であるし、車にいたずらされても困るので、同人を連れ戻し姉に引き渡して連れて帰つて貰おうと思い、駐車場の同人の側に行つた。和成は相当興奮しており、同人に『こういう所に呼んで何をするつもりか』と少し厳しくいうと、同人は『お前も制服を脱げ』というので、同人の左袖付近を右手で握つて引きながら、連れ戻すつもりで『こつちに来い』といつたところ、同人は逆に私の制服の前襟付近を握つて来たので、今度は左手で同人の襟首付近を握つてお互いに押し合い引き合いする状態になつたが、同人がどうしたはずみかバランスを崩し尻もちをつく格好で横倒しに倒れた。私はびつくりして手を放さないまま同人を抱き起こし『もう少し素直にならんか』というと、同人は頭を下げて『すみません』といい、自分で派出所の方に歩いて行つた」と述べ、また、被告人中野は要旨「和成が『やつてやる、来い』などといいながら駐車場の方に行くのを見て、女性がその方に行こうとしたので、私は派出所出入口の前付近で両手を広げて同女を止め、同女に住所、氏名等を尋ねていたが、和成が駐車場の方から戻つて来たので、派出所出入口の前付近から『帰らんね』といつて、同人の後ろに回り肩か首のあたりに右平手を当て、押すようにして歩道を歩き、車道に出ようとしたところで横断歩道付近の歩道部分に自動車が止まつているのが見えたため、そこから手を持ちかえて同人の左肘のところを私の右手で下からかかえるようにして自動車の側まで行き、そこで同人から手を離した際に、急に同人が私の方に向きを変えて寄つて来たので、私は殴られるのではないかと感じ、とつさに体をかわしたところ、同人がその場に横向きに倒れた」と述べて、いずれも前記主張に副う供述をしている。
しかしながら、前掲各証拠によると次の事実が認められる。すなわち、和成は、昭和五四年一二月一三日午後五時すぎころから長崎市滑石町内の喫茶店や同市銅座町付近のスナック等で飲酒したため帰宅が遅くなり、翌一四日午前一時すぎころ自宅に電話をかけて実姉の蔭地喜久美(以下喜久美という)に自動車で迎えに来て貰うこととし、その待合わせの場所として滑石警察官派出所前を指定した。他方被告人両名は右派出所で勤務中であつたが、当夜は被告人中野が一二月一三日午後一〇時三〇分から翌一四日午前三時まで派出所休憩室で休憩仮眠中であり、その間被告人渕が制服を着用し派出所事務室において執務していた。被告人渕は同日午前一時三〇分ころ小柄で一見して一六、七才位にしか見えない和成が派出所前の歩道を歩行しているのを認めて不審を抱き、少年補導の対象にもなるものと考えて、同人を派出所内に呼び入れた。和成は派出所に入るなり被告人渕から「今ごろ何しよるか」などと質問されたが、その質問の口調に腹を立て、帰宅のため姉の迎えを待つていることなどの事実を答えず、さらに所持品の提示を求められて「任意や」などと反論し、自己の年齢を一九才と偽つたりなどして被告人渕に食つて掛かり、互いに口論する状態になつた。被告人渕は和成に対し、同人の飲酒や喫煙の事実を指摘し、同人の運転免許証の住所変更がなされていないことを口実に威圧的口調で注意するなどしていたが、和成は反抗的態度を止めなかつた。このころ姉喜久美が軽乗用自動車を運転して派出所東側歩道上に停車させ、和成を迎えに派出所内に入つて来たが、同人が被告人渕と激しく口論しているのを見て和成を制止するなどし、また被告人渕も姉が迎えに来たことから内心同女に和成を任せて帰宅させようと考えた。ところが、前記のとおり仮眠中であつた被告人中野が、被告人渕と和成の口論で目を覚まし、部下の被告人渕が酔つぱらいにてこずつているものと一方的に即断し、休憩室から制服を着用し素足にスリッパを突つ掛けて事務室内に出て来たが、被告人渕に事情を聞いたり、報告を求めたりすることもしないまま、やにわに和成と喜久美に対し「何ばうだうだ言よるか」などと怒鳴り、さらに二人の関係をいわゆる異性交遊関係であると速断して「お前のスケか」「姉じやなかろう」などと一方的に申し向けた。このため一旦収まりかけていた和成が激昂して、「制服を脱いで言え」「外に出ようぜ」などと文句をいい、これに応じて被告人中野が、派出所前の歩道に出て同所で制服上着、ネクタイ、ワイシャツを次々に脱いで地面に投げつけて和成と対峙する状態になつた。これを見た被告人渕がこのまま放置すれば取つ組み合いの喧嘩に発展しかねないと考え、仲裁しようと思いながらも、和成がそれまで自分に対しても反抗的態度を取つたことなどに腹を立て、派出所を出て西側にある駐車場の方に行く和成のあとを追い、右駐車場に至つた。この間和成の身を案じた喜久美が同人を追つて駐車場の方に行こうとしたところ、被告人中野が派出所出入口前付近の歩道上で「お前そこにおれ」と怒鳴つて同女を遮つていた。そして被告人渕は、同日午前一時五〇分ころ、右駐車場において、判示第一の犯行を行い、そのため意気沮喪した和成が被告人渕に謝り、派出所出入口前付近まで引き返して派出所内に入ろうとしたところ、今度は被告人中野が判示第二の犯行を行つたものである。以上の事実が認められる。
ところで、本件各犯行に至る経緯は概ね右に認定したとおりであるが、本件の被害者である証人蔭地和成及び本件の経過をほぼ一貫して目撃していた証人蔭地喜久美の当公判廷における各供述(当裁判所の尋問調書も含む)には、多少の誇張をしたと思われる部分もないではないけれども、その大部分は前記事実経過を詳細かつ具体的に述べており、その内容も極めて自然かつ合理的であつて、他の目撃者である柿田光、桑名利洋、松尾昇の各供述及び供述記載、さらに受傷の部位、程度に関する各証拠や当裁判所の検証調書とも十分符合するものである。また、被告人両名はいずれも捜査段階において本件犯行をほぼ認めているものであり、これによると前認定の事実経過、犯行の動機及び態様等について幾分曖昧な点は認められるものの、証人蔭地和成、同蔭地喜久美の各供述と大筋において合致しているといつてよい。他方被告人両名の当公判廷における前記各供述は、前認定の本件犯行に至る経緯等に照らして考えると、これに符合する部分があるとはいうものの、特に犯行の動機及び態様などに関する部分の供述中に自己を正当化するかあるいは種々弁解をなし、また相被告人を庇おうとする供述態度が見受けられ、その内容も曖昧かつ極めて不自然不合理というべきであつて、いずれも措信できないといわざるを得ない。被告人両名及び弁護人の前記主張は理由がない。
次に弁護人は、被告人らの本件行為がいずれも「職務を行うに当り」なされたものとするには疑問がある旨主張するが、刑法一九五条が職務の執行に際しての不法行為を処罰の対象としようとしている趣旨に鑑み、「職務を行うに当り」とは、広く「職務を行う機会」であれば足りると解すべきであり、そうだとすると、本件の外勤警察官という被告人両名の職務内容及びその職務の性質、犯行当日の被告人両名の勤務の状況並びに前認定の本件各犯行に至る経緯等に照らして考えれば、右主張の理由のないことは多言を要しない。
(法令の適用)
被告人両名の判示所為はいずれも刑法一九五条一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で、被告人渕を懲役三月に、被告人中野を懲役五月にそれぞれ処し、後記の情状により同法二五条一項を適用して被告人両名に対し、この裁判の確定した日から二年間それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人両名に負担させないこととする。
(量刑の理由)
本件各犯行は、帰宅の遅くなつた被害者の少年が深夜実姉に自動車で迎えに来て貰うについて、一般市民が最も安全であると考える警察官派出所前で待合わせをしたところ、同派出所の外勤警察官である被告人両名が少年に対して職務上行つた少年補導に際し、同人の示した反抗的な言動に腹を立て、相勤者でありながら相互に何の連絡も取らないまま、それぞれが少年に判示のとおり一方的に暴行を加えたというものであつて(結果は加療約一か月間を要する胸腰椎部捻挫の傷害を負わせたというものであるが、右傷害の点はこれが被告人両名のいずれの暴行に基因したものであるのかが特定困難であつたことなどの理由から起訴されるに至らなかつたものである。)本来公共の安全と秩序の維持に当るほか、一般市民の権利と自由を保護すべき使命と職責を有する警察官が、その最も保護を必要とすると思われる弱い立場の少年に対してなした言語道断の犯行といわざるを得ない。また本件各犯行は、少年の被告人らに対する反抗的な言動に誘発された面がないとはいえないけれども、そもそも同人をそのような反抗的態度に追いやつたのは、被告人両名の少年補導の際における極めて権力的な対応にあつたというべきである。すなわち、被告人渕は深夜姉の迎えを待つているにすぎない少年を一方的に不審者として派出所内に呼び入れ、高圧的な態度で職務質問をして所持品の呈示を求めたうえ、運転免許証の住所変更をしていなかつたという些細な道路交通法違反行為に藉口して、少年に対し極めて威圧的な言動を行つたことが少年を刺激したものであり、また被告人中野は休憩室から出て来るなり、上司の立場にありながら被告人渕から事情説明や報告を受けることなく、また自らこれを問い質すことも全くしないまま、ようやく興奮の収まりつつあつた少年に対し、やにわに怒鳴りつけるなどしたうえ、姉のことについても前記のとおり非常識な暴言をはくなどしたことが少年を一層興奮させたことは明らかであつて、その意味では被告人中野の責任は被告人渕に比べてやや重いといわざるを得ない。ところで、少年は当時未だ一八才であり、左官見習いとして真面目に稼働していたものであつて、何らの非行歴もなく、またかねて警察官に対して反感を抱いていた事実もないのであるから、被告人両名が今少し懇切な態度で少年に接していたならば、そもそも本件の発生する余地は全くなかつた筈であるのに、外勤警察官として当然とるべき態度や処置を忘れ、かえつて少年の人格を無視するような態度を示したことに、本件の最大の問題があつたといわざるを得ず、被告人両名の警察官としての自覚の欠如を如実に物語るものというほかない。また犯行態様も、小柄で被告人らとは相当体格差のある少年をアスファルト舗装の路面に投げつけたり、押し倒したりしたものであつて、前記のとおり傷害の点は起訴されてはいないものの、その結果は重大であり、暴行の程度は極めて強度のものであつたと思われる。さらに被告人両名は、本件犯行によつて被害者とその関係者は勿論広く社会一般の警察官全体に対する信頼を損つたばかりでなく、日夜一般市民のために勤務に精励している数多くの警察官に対してもその名誉を傷つけたものというべきであつて、その社会的影響は大きい。以上のような本件各犯行の動機、態様及び社会的影響等に照らして考えると、被告人両名の刑責は重大といわなければならない。
しかしながら、他方、本件各犯行は、前記のとおり被告人両名の対応に問題があつたとはいえ、犯行自体はいわば少年の反抗的態度に誘発された極めて偶発的な犯行であつて、また被告人両名が少年に対し共謀して暴行を加えたという事実があるわけでもない。被告人渕は昭和四五年以来長崎県巡査として、被告人中野は昭和二一年に同巡査、昭和五一年に同巡査部長として、今日まで勤務し、この間何らの懲戒処分等を受けることもなく真面目に勤務に精励して来たものであつて、本件を除けば他に非難を受けるべき何らの所業も見当らない。さらに被告人両名は、本件犯行が新聞、テレビ等によつて報道されたことを通じて、すでにその家族を含めてそれ相当の社会的制裁を受けているものとも考えられるほか、被告人両名はそれなりに本件の少年補導の際にとつた自分達の対応に問題のあつたことを反省している様子も窺えること、その他被告人らの年齢や家庭の事情等被告人らに個別の有利な事情を十分参酌して主文のとおり量刑した次第である。
よつて主文のとおり判決する。
(山口毅彦)